それでも貢いでしまう
私の好きなアイドルグループは、ときどきコンビニエンスストアとコラボした商品を出します。
ついこの間もやったのですが、いつも予告なく始まるんですよね。
予告するとパニックになるから、というんですけど、どうなんでしょう?
なのにネットには情報が流れていて、しっている人は予約までしている。
正式な情報を流さないなら予約なんて受け付けないで欲しいし、予約受けるなら正式発表してほしい。
と文句を言ってもほしいものはほしい。
ファンとはいっても私はいつもそのことにアンテナを巡らせているタイプではないので、だいたい間際になってとか、始まってから知ります。
だからそれから探すのが大変。
いつもコンビニ巡りです。
ないと余計に欲しくなるんですよね。
そして今回も無事欲しいものはGETできました。よかった。
こういう限定ものは公式グッズよりほしくなります(笑)
コンサートのグッズもいつも色々あって、かなり出費になります。
でもポスターとか写真を買う人はもっと出費が多いはずです。
私はアイドルグループのファンだけど、写真入りのグッズには興味がないので、わかる人には分かるものだけほしいんです。
あと、グループ単位だったり、個人だったり、好きな人がたくさんいると当たり前ですがその分お金はかかります。
それでも、結構出費はデカイです。アイドルのファンはお金がかかります。
でも、普段節約して好きなものにお金を使うのはよいことだと思っています。
その対象がなんであれ、それはその人の個性ですからね。
ミーハー根性
私が惑わされる言葉に、「文豪が愛した」というのがある。
文豪が愛した街。
文豪が愛した宿。
文豪が愛したカレー。
それを聞いただけで、ぜひとも行ってみたくなってしまう。
その文豪が愛したという場所へ行って、そこでその人の記した作品を読んでみたい。
その文豪が好んで食べたメニューを、その人が座っていた席で食べてみたい。
そんな一種隠微な楽しみを味わいたいと思ってしまう。
先日も、ラジオから「あの文豪が足しげく通ったという洋食屋」の紹介がなされていた。
それも、私が一番愛してやまない文豪である。
ぜひとも行ってみたいと思っている。
結局、この感覚が、人がアイドルなんかを求める心理なのかもしれないと思う。
その人の近いところに行って、その人がどういう人間なのか、その一端でも知りたいという。
その感情の源泉がどこにあろうとも(恋愛感情であろうがなかろうが)、事実その人を知りたいということに関しては変わらない。
私が文豪の足跡を辿りたいと思うのも、その時の雰囲気を自分の肌で感じたい、そうすればその人間性の外皮一枚にでも触れられるかもしれない、そうして作品の核に近づけるかもしれない、そんな期待の現われである。
昔の歴史好きにしたって、より正確と思われる史実を求めて、歴史上の人物の輪郭に近づこうとする。
その当時起こった事件の真相に切り込もうとするのだ。
それらは、ひとつのものの真理を追究しようという、人間の好奇心のなせる業である。
対象がアイドルであろうと、文豪であろうと、歴史上の人物であろうと、それは個人の嗜好の違い、という微々たる差の話。
根本に根ざすものは一緒のはずである。
なんてちょっと高尚なものにしてみたいが、仮にミーハー根性といわれてしまったとしても、そこの否定はできないのである。