感性を養う
昔はよく、小学校の課外学習や遠足で美術館・博物館の見学に連れていかれたものだ。
少なくとも自分たちの頃はそうだったのだが、最近の小学生の事情を聞いているとあまりそういう機会がないのかなと思う。
ところでそもそもどうして、小学生が芸術やアートに触れる機会を積極的に設けていたのだろうか。
いや、おそらく感性を養うためだと思うのだが。
そういった教育をする暇があるのは小学生までだと考えられているということか。
中学以降はやれ高校受験だ、やれ大学受験だ、就職活動だと忙しくなる。
親も学校も勉強のことと良い進路に進むことしか頭になくなってしまう。
だが個人的には、自由な小学時代の内こそ逆に学習のことを少し徹底すれば良い。
そして上の学校に上がり進学や進路を考える時期こそ、勉強のリフレッシュにでも芸術的な作品に触れた方が、子どもが自分の将来を真剣に考える糧になるのではないかと思う。
更には、芸術家は才能ある人の職業という事を言いながら、その可能性を潰しているのは、実は親である確率が高い。
食えなかったらどうするんだ、という定番の説得も今の時代にはナンセンスである。
就職すら高嶺の花となっているために、サラリーマンになったとしても、食っていける保障は何処にもないのだ。
雇われることしか頭にないということは、思考そのものが潰しがきかないことなのである。
人生を決めるのは自分自身なのである。
高校時代の思い出
人生で一番充実していた時期、なんていうものは、まだ大して生きていない私には決められないけれど、少なくとも高校一年生だった一年間は、その内の一つに挙げられます。
私は中高一貫の学校に行っていました。
そのためメンバーも中学時代から殆ど変わりません。
しかもクラス分けの神様が微笑んだのか、仲の良い子や明るくて活発な子ばかりの集まるクラスになりました。
担任の先生も大好きで、皆のやる気を尊重して、よい意味で放任してくれるような、そんな素敵なおじさんでした。
一年を通してずっと楽しかったのですが、特に思い出に残っているのは文化祭のことです。
持ち前の積極性で「今までにどのクラスもやらなかったことをやろう!」という話になりました。
話し合いの結果、今まではお店やゲーム、展示が中心だった中、私達のクラスは教室で劇を行うことに決定しました。
さて問題はここからです。
既存の脚本じゃつまらない!ということで、何故か文化祭委員だった私に脚本作りのお鉢が回ってきたのです。
他の文化祭委員のメンバーと何度も相談して練直しを重ね、1週間ほどかかって作り上げました。
お姫様と継母と七人の小人が出てくる童話のパロディで、お姫様がとんでもなくわがままで野蛮、それに皆が振り回されて……というコメディでした。
しかし最後には愛の力で全てが丸くおさまり、全員が手を繋いで終わります。
大道具、小道具、衣装、音響など、全員が知恵と力を出し合って一つの舞台を作り上げました。
本番は大盛況でした。
笑いやら悲鳴やらが教室から漏れて、その効果で更に人が集まって……という感じでした。
皆で力を合わせて一つのことをやり遂げる充実感がありました。
これは大人になってからはなかなか味わえないものだと思います。
これからまだまだ人生は長いですが、この経験は一生忘れないのだろうなぁ、と思っています。