お年玉はプレゼントで
お正月に親戚の子どもに会いました。
正月に子どもに会うとお年玉をあげなくてはいけませんよね。
甥とか姪なら仕方ないかもしれませんが、ちょっと遠い親戚だと余計に子どもにお金をあげることに抵抗があります。
自分もそうでしたが小さい子はお金の価値がちゃんと分からないですしね。
その子どもたちは5歳と7歳でまだ小さかったので、その子達の好きなキャラクターグッズにお菓子をつめてあげました。
それでも喜んでくれましたよ。
前にいとこにお年玉をあげなきゃいけなかったときも、お金ではなくて洋服などを買ってあげました。
プレゼントをするのはなにをあげたら喜ぶかなー、というあげるたのしみもあって好きなのですが、お金だとなにも面白くなくて、お金が減るからやだなという感情だけ残ります。
また、5千円とか1万円とかまとまった金額をあげられるならいいんですが、1000円、2000円では情けないというか、せっかくあげたのにちょっとしかくれなかったと思われるのもシャクなので(笑)
はっきり金額の分からないものにしています。
私自身が今思えば、みんななけなしのお金をくれたのに、叔父さんからもらったお年玉が少なかったらしつこく覚えている嫌な子どもだったので。
そんな風に思われたくないと思ってしまうのも強いです(笑)
でももらったお年玉の袋はずっと大事にとっていて、今も実家にあるはずです。
袋も結構重要で、好きなキャラクターだと嬉しかったのを覚えています。
ポチ袋のこと
ポチ袋はいい。
あんな小さな、あんな簡単なつくりの紙袋なのに、高級和紙だったり、千代紙だったり、綺麗な絵が描いてあったりと、実に趣向が凝らされている。
そして、人にお金を渡すとき、いやらしくなく渡せるさりげなさがある。
人生初のポチ袋はもちろん、大人からもらったお年玉である。
あの頃もらったポチ袋は、流れるような草書体で書かれた、「のし」とか「お年玉」とかが真ん中にポツンとあるだけの、シンプル極まりないやつだったので、「ああポチ袋はいい」とため息をつくこともなかった。
でも、大人になってから見るポチ袋は、180度違った観点からのものである。
もらう側から、渡す側へ。
その変化が、ポチ袋への態度を変えている。
ポチ袋を使うのは、何も年少者へのお年玉袋だけではないということを、大人になって知った。
大人が使うポチ袋の用途の裏には、「心づけ」という文化がある。
もちろん、私は誰かに心づけを渡すような粋な生活をしているはずもないので、全て敬愛する粋な作家のエッセイから学んだことだ。
旅館で気持ちよく対応してもらったとき。
料亭ですばらしい食事をいただいたとき。
相撲茶屋とのやりとりをスムーズにするとき。
そんな時には、ポチ袋にほんの気持ちばかりのお金を入れて、心づけとしてそっと手渡す。
そういう場面がいつくるかも知れないので、大人のマナーとして、気持ちのこもったこだわりのポチ袋を常に懐中に忍ばせておくべし。
というのが、かの作家から勝手に賜った教えである。
こだわりのポチ袋、というところがミソだ。
人に気持ちを伝える、こだわった美しいものを選ぶべし。
だからポチ袋と言うのは、芸術的に美しいものが多いのだ。
大人のマナーと密接に結びついたポチ袋。
文化的なものは、なんて美しいのだろうか。