どうしても苦手なもの

年末年始には町内会などで餅つきのイベントがあったりしますね。
お餅は人気ですよね。
うちの弟は一年中食べています。
だけど私はお餅が苦手です。

柔らかい米が嫌なので、パリパリに焼いた磯辺焼きなら食べられますが、好んでは食べません。
だからもう何年も餅を食べていません。
つきたての餅は柔らかいので特に苦手です。あとお汁粉お雑煮も、、、
お雑煮を汁だけもらっても、餅が溶けていてダメです。
正月なに食べてるの?と言われますが、
みんな餅を食べている中ひとりでご飯を食べていますよ。
米はもちろん固めです。
ごはんがぐちゅってなっているともうダメです。昔コンビニのおにぎりがぐちゅっとなっていて、以来そのコンビニではオニギリ買っていません。
おかゆもダメです。
というと、じゃあ雑炊とかもダメなんだ?と言われますが、
雑炊とリゾットとおじやは好きです。
雑炊とおじやはご飯から作るので米粒がちゃんとしています。
リゾットも米は固めのアルデンテなのでぐちゃっとしていません。
おかゆと雑炊とリゾットは違うんだー!といいたくなります。
というわけでなかなか面倒なやつです。
風邪ひいたときはおじやかうどんでお願いします(笑)
でも歳をとるとみんなおかゆになったりしますよね。
生涯白米が今人生の目標の一つです。
パンなどで、
もちもちで美味しいっていいますが、
もちもちは別に食べられるけどそんなに惹かれないと思っていたのですが、よく考えたら餅が嫌いなんだから当たり前ですね。

苦手な魚

小さい頃から魚が苦手だ。
食べるのがではない。
見るのがである。
といっても、水族館は大好きで、魚はじめ全ての海洋生物に関しては殊のほか興味があるのだけれども、どうしても見ているとぞっとしてしまう。
嫌いなのではない、苦手なのである。

苦手になったのは、とても馬鹿みたいな理由からだ。
一度、世界中の魚をぎゅうぎゅうに集めた生簀に、落っこちた夢を見た。
それがまたいやにリアルな夢だったので、身体の間を通り抜けていく魚の感触も、まざまざと思い出せるほどだ。
それ以来、魚を見るとその情景が頭に浮かんでしまって、鳥肌が立って体がすくむ。
あんまり情けない理由なので、面と向かって人には言えないけれども、スーパーでパックに入ったシラスを見ても、小あじを見ても、綺麗に引き揃えられたコブナの甘露煮を見ても、叫び出したいくらいである。
大人になって、魚を捌くようになってからはある程度緩和されたけれども、それでも苦手であることにはかわりがない。
スーパーのはまだいいけれども、特に恐ろしいのは釣堀と、水族館の水槽を真上から見たときである。
水の動きや光の反射ではっきりとは見えないのだけれども、間違いなくその水面下には、魚が動き回っているということ。
どのくらいいるかわからないこと。
そして、その水もまたどういう状態か良く分からない色をしていること。
そんな不安材料のせいで、もしここに落ちたらどうしようか、と軽いパニック状態になるのである。
それなのに、どうして魚と聞くと、見ずにはいられないのだろうか。
ぞっとするのは分かっているのに。
半ば本気で、前世は魚だったと思っている。